安部磯雄先生 観覧者の練習

早稲田大学野球部は、スポーツで国際平和を願う大隈重信侯の「戦争はその方の係りである軍人がやっている。学生には学生のなすべき道がある。そんなことに関係なく、大いに見聞を広めてくるのがよろしい。どんな困難を冒してもやりなさい」との言葉を受け、日露戦争さなかの明治381905)年に初の海外遠征、訪米を行った。

 

●早稲田大学野球部の歴史

 

 

 

野球部初代部長の安部磯雄先生は、アメリカの野球技術だけでなく「応援」にも着目し、アメリカから「カレッジエール」を持ち帰った。安部先生の指導を受けた当時予科生(高等学院の前身)の吉岡信敬らにこれを伝授し、日本の組織的応援がスタートしたと伝承される。

 

その後、早慶戦は観客の過剰な盛り上がりにより19年間中止されたが、大正1(1925)10月戸塚球場での復活早慶戦で安部先生は「拍手以外のあらゆる彌次的行為を一切厳禁します」と挨拶し、整然とした応援を観客に求めた。

 

 

●復活早慶戦で挨拶する安部磯雄先生

 

 

 

その安部先生が明治421909)年に『運動世界』(第11号)に書いたのが「観覧者の練習」である。好プレーには敵味方の別なく拍手を送るなど、応援におけるフェアプレーの大切さを説いた一文である。